天使と呪物崇拝

Wikipediaを読むのが好きで、「パトロン」の項目には例えば

サミュエル・ジョンソンは、芸術の分野のパトロンを次のように定義している:「水に溺れてもがいている人を何もせず眺めていて、その人が岸にたどり着いたら助けようとする者である」

 という記述があって、サミュエル・ジョンソンが誰なのかは知らないけれど、ふうんと思うわけである。そしてある日そんな人たちが現れて、仲良く並んでわたしが溺れているのをひたすら眺めてくる、という想像をしてみる。『パトロン・コレクション』とはそういうブログタイトル。

さて「フェティシズム」の項目をひくと

本来、フェティシズムとは、生命を持たない呪術的な物(フェティッシュ英: fetish、仏: féticheという)に対しての崇拝を指し、性欲とは無関係であった。

 「原始、女性は太陽であった」、そんな名文にひけをとらぬ魅力的な書き出し。たまに読み返しては英語版まで読んだり、「ウェット&メッシー」の項目までとんでみたりとかなりのお気に入りページだった。

 

菊地成孔の粋な夜電波』というラジオがあって、その最後のラジオ本が書店に並ぶころには、つまり存在をわたしが知ったときにはもう番組は終わってしまっていて、なんとなく惹かれるその本を買うお金もなかった。仕方なくわたしは大学の図書館で探し出した”菊地さん”ってひとの著作数冊のなかから『スペインの宇宙食』というタイトルのものを選んで、春だったか秋だったか、とにかくよい気候だったので国立新美術館に寄った帰りかなんかに、六本木ミッドタウンの芝生のある空間に寝っ転がって本を開くと、カップルと家族連れに囲まれながら、菊地さんは作家じゃなくて銚子出身のサックス奏者ということ、そしてアンダーウォーター・フェチだということをすぐに知った。呪物崇拝の話から、ウェット&メッシーの話までしている。ふつうに生きていたらフェティシズムに関する談義に、その定義から付き合ってくれる人なんてめったに現れないのに、彼は「フェチ、フェチと軽々しく使うな」とさらりと強調してみせたうえで自身の嗜好まで教えてくれたのだ。つくづく読書って(無意識の領域で)やむを得ずしているに過ぎないのだなと思う。ちなみに彼の著作の1つに『あたしを溺れさせて。そして溺れ死ぬあたしを見ていて』という題の官能小説があって、残念ながら読んだことはないのだけど、もちろんアンダーウォーター・フェチがテーマである。

 

コビッド・ナインティーンだかなんだかのせいで人と会えない日々が続いていて、人と会うってなんだろう、テレビ電話で補完できない要素って、なんて思わず考えると、体温と、体温に乗った香りと、絶妙な声色が妙に恋しい。他人の匂い、なかでも香水の香りが好きで、ただ、それは例えばかわいくてずっと仲の良い友人がニナ・リッチを使っているとある日偶然知ってぐっとくる。煙草を吸っている初対面の男の子から甘い香りがして不思議に思っていると、煙草の香りとマッチする香水をわざわざ選んで使っていることをこっそり教えてくれる。というような文脈も含めて素敵だなと思っているので、フェチとはいえないのだけれど。検索すればすぐにわかるけど、菊地さんが使っているのはティエリー・ミュグレーのエンジェル、濃厚な甘さの香りで想像するとうっとりする。声の波長がそのまま伝わる有線の固定電話と、相手の愛用している香水が手元にあれば、テレビ電話よりきっと満足できる。