神様、その移り変わり

文通が流行ってるみたいで、数人の友人から手紙が届く日々。丁寧に封筒に包まれ84円かけてやってくるけれど内容はどれも何気ないもので、「おすすめの紅茶ある?」なんて質問への返事を考えていた。大学時代、キャンパスの近くに閑散としたショッピングモールのなりそこないみたいな建物があって、そのなかの紅茶専門店はやっぱり閑散としていたのだけど、無口なマスターが淹れてくれる紅茶はおいしくてわたしと、当時ひとりだけいた学科の友人のお気に入りのお茶スポットだった。もちろん茶葉の種類も豊富で、それでもメニューにずらりと並んだ紅茶(とその説明)のなかからたいていパルフェ・タムールを選んだ。スミレ、柑橘、バニラの香り。という文面にどうしても惹かれるのだ。懐かしいなと「パルフェ・タムール」という文字を戸棚からひっぱてきた葉書(神戸の横尾忠則ミュージアムで買った秘蔵の、ご自慢の葉書)に書きつけたところで、"検索魔まみ"たるわたしは同様の文字列を検索窓に入力しハッとする。

Parfait Amour パルフェタムール
イメージの発端となったパルフェタムールとは“完全なる愛(perfect love)”という名前をもつフランスで生まれたリキュール。17世紀のフランス貴族の間では“飲む香水”とも評され、恋の媚薬として珍重されたようです。

https://feuillesbleues.com/teas/lfb/parfait-amour/

薄暗い喫茶店で怠惰にも勉学をすっかり放棄して疲れ果てたわたしが無口なマスターに完全なる愛を注文していたなんて。

 

早熟だったから、小学校で過ごす時間はいつも退屈だった。授業なんてきかないで「博士」と渾名されていたお医者になりたい男の子(クラスにひとりはいるよね。いました)に借りて辞書よりも分厚い星新一ショートショート全集を読破したり祖母の家で発見した氷室冴子赤川次郎を読んだり、それも尽きると父が読み終わったのが放置されていたエロ・グロ・ホラー小説/漫画まで読んだ。そんなわけで読書に対する第一印象は娯楽、そしてちょっとの背徳感。そんな頭のちょっとした早熟さなんて天才でもない限り役には立たなくてむしろ大学入学にかけて精神の成熟が遅れちゃったような気さえする。わたしが頭の良さ、という言葉を信じていないのは、相対性理論を「理解」していないわたしたちの大半の知性なんてどんぐりの背比べだと思うから。

 

育った地域は東京の湾岸エリアの入り口で、ちょっと前まで不動産の広告ではウォーターフロントなんて言葉で飾られていた気もするけれど、要するに大地震が来たら液状化する場所である。(洪水が起きたときに備えて地域の公立小中学校は1階に教室を作ってはいけない決まりになっている。)せいぜい広めの一軒家ぐらいの小さな自動車の修理工場や塗装工場がたくさんあって、つなぎを着た修理工たちが車通りの少ない道路に面した作業場で音楽を流しながら仕事をしているのに妙に惹かれたものだった。大学で参加していたサークルの部室は大講堂の裏にあるボロボロの小屋、というか倉庫で、来年こそ改修工事がはいって潰されるぞという噂話を部員たちは(ときに床をかけぬける虫を尻目に)4年間聞き流していた。わたしはさっきも書いた通り疲れ切っていて早々に幽霊部員になったのだけど。でも用事があってたびたびその天井の高い秘密基地を訪れては、自動車工場の作業員の仲間入りを果たした気持ちになって嬉しかった。

 

天気が悪いとベッドから起き上がれなくなるし、小さいころからちょっと走るだけで気持ち悪くなった。いろいろ習い事もしたけれど唯一できるようになった運動は水泳だけで(ゲームのルールを覚えられなくて辞めたテニス教室、などひどい話はたくさんある。)、それでさえ時間制限内に泳ぐ、というのがどうしてもできなくて"トビウオクラス"から永遠に進級できず卒業してしまった。それでもガラス張りの天井から日の光や星の光が差し込む空いてる屋内温水プールで泳ぐような機会があると大量の水に包まれて(水って大好きだ。海も川も好きだし、4℃で密度が最高になる物質なんてほかにない。)自分まで透明な魚(トランスルーセントグラスキャット、とかね)になったような気分、隅々まで神経がいきわたっているような、じぶんの身体が意のままになっている、という快感を覚える。

 

ちかごろやはり、いつかみたいにぼんやりしちゃったりするのだけれど、とにかく必要なのは気持ちよさに敏感であること、貪欲になることだという気がしている。あとは神様がなんとかしてくれる。例えばいつもより香りの甘い紅茶を飲みたいと思ったときにふと完全なる愛を与えてくれる。