思い出すまで忘れていたこと

10歳までに大人以外の、周りの子供たちから受け取った愛というのは今思うと特殊だった。

 

小学校1年生のとき男の子にどうしようもなくモテていた。Aくんには給食の配膳中に「愛してる」と告白され(隙を見て愛を告げられるので困っていたが1年で転校していった。転校後は2回ぐらい電話がきた)、Oくんに教室移動の隙にキスされ(当然保護者間で問題になったらしい)、E村くんには掃除中に「どうせお前はE村よりK村の方がいいんだろ……」とか言われていた。(K村くんのことが好きだったので返答に窮した。)これは覚えていないが校内でN村くんと普通に手とか繋いで廊下歩いたりしていたらしい。村多すぎか?ていうか1年生の担任地獄すぎる……。親戚の同年代の女の子に溺愛されていて、スキンシップをしてくれないと泣かれて(スキンシップ嫌だった)親たちに謝らされたこともある。

 

クラスの女の子たちが不思議にいい子たちで、ギャルもオタクも優等生もみんなフラットに仲良くしてくれてバレンタインにはグループ関係なく我が家でチョコレート作ったりしてたのもちょっと不思議。

 

保育園から登園拒否を繰り返し小学校の保健室の先生には「また来たのね」とか言われるような根っからの反社(じゃなかった、社会不適合)人間だけど当時はある人たちに熱を向けられるのも同じグループじゃなくても遊ぶのも理由はべつになかった。幼稚園〜小2ぐらいの心身に性愛っていう概念が芽生える前に間に愛してるとか伝えられたり伝えたりしていた人は別に珍しくもないのだろうと思う。私も友人の女の子と結婚するつもりだったし。(これは相手の子が中学で彼氏つくるまで本気だったが……。)

 

大人になると愛されるのには理由がいる。いまは、というか(自分の属性に対する自覚と、適切な振る舞いをしようとする意識。略して)自意識が芽生えだした小3あたりから全然モテなくなった。(「モテることと愛し愛されることは違うよ」by 及川光博さま)いまあのときの勢いでモテたら災だよな、モテすぎる人間はそれをお金に変えるしかない(芸能人とか、売れっ子ホストとかね)と菊地成孔が言っていた。

Feb. 2021 LOVEずっきゅん

序文

中央線に乗って高校に通っていてなにしてたかって吉祥寺のロフトでペンとかノートとかやたらと買ってただけなんだけどここはどこ、宇宙。みたいなぼんやり感ってまさに高校時代のあの感じだなと懐かしい。高校一年生の頃の担任の先生のメールアドレスなぜか知っててたまにメールすると返してくれるんだけど、そんなときは一瞬気持ちが戻る気がする。あの頃からスタバはアイスチャイティーラテかブラックティーしか飲んでないわけだし。あと春限定の桜味のフラペチーノ……。

 

映画

  1. パプリカ
  2. 夜は短し歩けよ乙女
  3. レディ・バード
  4. ア・ゴースト・ストーリー
  5. 美女と野獣(2014)
  6. フィフス・エレメント

『ア・ゴースト・ストーリー』のパワー派ポルターガイスト良かった。『フィフス・エレメント』のリールーみたいな野生派美女どうしても好きなんですけど、すみません…と思った。

 

満を辞して円城塔『文字渦』買って読んでる。変換ミスで知ったのですが中島敦『文字禍』ってのがあるのね。そっち先読むべき?『文字渦』は超上等の睡眠導入剤になってる。

 

その他

  1. 吉田博展 @東京都美術館
  2. ついにモルカーみた

 

まとめ

3月もがんばりまーす

Jan. 2021 Exoplanet Love

序文

気が向かないのでコメント省き気味で書きまーす

 

映画

リメンバー・ミー

カーズ/クロスロード

あと学校の課題のために『ブレードランナー2049』ちょっとだけ見直した。

 

やっと『三体』の一冊目を読み終わった〜

 

音楽

https://youtu.be/Sa5HNkGrl8E

https://youtu.be/IZ44-Qj_Wgc

https://youtu.be/JfJjCWZ2HKc

 

その他

・アーティゾン美術館 琳派印象派

東京都現代美術館 石岡瑛子

・ジャック・オ・蘭たん「はじめてのポケモン剣盾」

 

まとめ

2月は吉田博展に行きたいな。

愛についてほんの少々

f:id:kc_1:20210125222230j:image

愛について語れることなんてほとんどない。ただ、流れるみたいな日々で(2021年の1月がもう終わろうとしている)たまたま居合わせたひとに「これ、レンズの歪みのせいですごく目が小さくみえるから普段使ってないんだ」とトムフォードの眼鏡を実際にかけて見せてもらうような出来事が起こるとなんとなく書き残しておくべきという気になる。フェチとまでは言わないが基本的に眼鏡は無いよりかけてるほうが良く、例えばジュード・ロウが『ホリデイ』や『クローサー』で(もちろん、それぞれ異なったタイプの)眼鏡をかけたり外したりしているのはありがたい。

映画を記録するアプリを教えたら『インディ・ジョーンズ』シリーズを真っ先に登録したあと、ラース・フォン・トリアーの好きな作品を教えてくれた。高校時代に「書かれていることが全てよくわかる」と『人間失格』を通学鞄から取りだしたバレー部のクラスメートのことを思い出す。みんなひとに教えてあげるための「好きな映画や本」とひとに言わなくても好きな映画や本があるでしょ。『聖なる鹿殺し』、そして『ファントム・スレッド』をすすめておいた。

Dec. 2020 ブルージャスミン

序文

1年早〜!とか思うし言うけど、ほんとうは適切だよね。人生はうわべだけのパーティー、あとこのひと区切り、を数十回繰り返したら死んじゃうんだわ!わたしたち。

 

映画

毎月このぐらい本数見られればいいんだけど。というわけでたくさん言いたいことはあるんだけど、とにかくラスト2つのピクサージブリ作品の残酷なほどのクオリティの差よ!CGのクオリティ、技術はもちろんだけどより時間とお金に大きく左右されるな、とあくまで個人制作のレベルで勉強していて思うのですが、お金と時間がないならよほど工夫が必要なんだな、とある意味勉強になったかな。

『ソウルフル・ワールド』はなかなかチャレンジングな主題だったと思うのでもっと考察を読んだりしたい。ふたつの魂にひとつの通行証、ってけっこう怖いなと思ったの。その怖さにあんまり言及してる人がいない気がして……。

スターウォーズ』1年越しぐらいでようやく見たけどカイロ・レンってシリーズ上かつてなく人間味のあるキャラクターで、続3部作にはストーリーがないって批判があるらしいのはキャラクターの濃さとの交換条件というか、やはり菊地成孔のいう第二経済なのかしら。

菊地成孔の『アベンジャーズ/エンドゲーム』『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』評: <第二経済>としての<キャラクターの交換>を前に我々ができることは、<損得>だけである|Real Sound|リアルサウンド 映画部

来月はマンダロリアンみます。

 

いつか買ったジャック・ケルアック『路上』をお風呂でちまちま読んでる。あと江口寿史の『ストップ!!ひばりくん!』読んだ。漫画読むのめずらしい。

どうでも良いけど『理論と実践で学ぶHoudini SOP&VEX編』と『CGエフェクトLab.』という参考書を自分へのクリスマスプレゼントとして(?)買いました。参考書高〜い!泣

 

音楽

春頃よく聴いていたFKJ(フレンチ・キウイ・ジュース)にまたハマってる。1曲のうちで楽器をつぎつぎ持ち替えるのがクールなの。

FKJ - Monday Jam - YouTube

 

その他

『MISHIMA2020』は配信でみたんだけど……つまんなかったな!お芝居で叫び続けないで。という好みの問題、ほんとうに……。でも野田秀樹は『桜の森の満開の下』をあんなに美しい演劇作品に昇華したのよ。三島由紀夫の作品の強度が強すぎる、というのはありそう。『憂国』って高校時代朝の通学電車で読んだのをすごく覚えているな。

世田谷パブリックシアターで『23階の笑い』を観たのは幸福な体験だった。瀬戸康史さん愛せる……。人気コメディアン・マックス・プリンスのカリスマの演出が本人の演技よりも周りの役者によってなされる、というのが何より面白いし、1番めんどくさくてうるさいアイラに1番ライターの才能がある、とか、ブライアンが2番手かな、とか台詞に明示されてないのにみんなの空気で自然とわかるんだよね。三谷幸喜の実感が織り込まれているのだろう、素晴らしかったな、無理してでも一番いい席で見れば良かったかもしれない。

あとなぜか母親の意向で1時間だけプロにビリヤード習った。プロに1時間だけ何かを習うの面白いから来年も何かやりたい……。

NHKドラマの岸辺露伴、良かった。成孔の音楽はもちろん、2話の森山未來さんね、、ていうかいだてん全然録画みてないな、、。

 

まとめ

なんだか大変な1年だったけど、友人たちはあまり変わった様子もなくお茶したりご飯を食べたりしてくれたし、勉学もまあまあ及第点かな、という感じで悪くなかったかもしれない。ブログを毎月読んでくれていた人たちもありがとう。来年も忘れない限りは続けようと思ってます。良いお年を!

Nov.2020 ロスト・イン・トランスレーション

三谷幸喜が『ロスト・イン・ヨンカーズ』以来7年ぶりにニール・サイモンの戯曲を演出する、というニュースを読んで思わずアッ、と声が出た。もちろんその『23階の笑い』のチケットはもう取ってあるんだけど、だってまさかあれから7年も経ってるなんて。相変わらずいちばん安い席しか買えないのが悲しい。

ちなみに"lost in"って、迷子になるっていう意味。『ロスト・イン・トランスレーション』って昔TSUTAYAで借りてきたのを男の子の家で観たことがあるけど、あまりに退屈で途中で再生を止めた。タイトルは良いなと思うしスカーレット・ヨハンソンも好きだけどソフィア・コッポラって苦手。

就職活動のときに『ロスト・イン・スペース』っていう題で社会不適合者たちが宇宙のはずれの星で一念発起、観光業を頑張る。っていう気の抜けたラジオSFドラマの企画をラジオ局のエントリーシートに書き付けて送ったら通らなかったんだけど、後で調べたら同名ドラマ(もちろん内容は全然違う)がネットフリックスにあった、なんてこともあった。ロスト・イン、という言葉にはただ迷子っていうんじゃなくて、戸惑いとか躊躇いとか、そういうニュアンスがある気がする。

 

ブログがいつもと違う形態なのは、箇条書きできるほど今月は作品を観たり読んだりしていなくて。唯一ネットフリックスの『クイーンズ・ギャンビット』を全話観たぐらいなのだ。噂に違わぬ面白さでテンポよく観た。少女の成長を描くときに性と絡めるのってありきたりでそういう描写にウーンとか思ってたんだけど、後半にかけてちゃんと意味があるシーンだったのだと理解できるあたりもちゃんとしていた。主人公ベスを直接堕落へと誘惑するのが魅力的な女性・クレオというのがまた。ベスの中での男の影が良い感じに薄いところが良かったな。

 

11月、大学時代のサークルのひとたちや高校時代の友人と会って話す機会がたまたま多かったのだけど、映画や本やその他エンタメの話を止めどなくできる相手、というのが実は久々で堪らなかった。海もみたし。12月はこれからMISHIMA2020(演劇)の配信買ったのを観なきゃだし『23階の笑い』も行くしNTLの『シラノ・ド・ベルジュラック』も行く。都現美石岡瑛子展は誰か清澄白河デートに誘おうかしら?とは言え感染者数も増えていることだしディズニープラスに加入して引きこもりたくもある。勉強は楽しくも孤独、パトロンたち(?)とのデートも然り。ですが僧侶とサンタクロースと共に師走を駆け抜けたい。身軽に行く。

f:id:kc_1:20201202004700j:image

偏愛・サイゼリヤ

マッシュルームスープ

スープ、といえば太宰治の『斜陽』という小説は「朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、「あ」と幽かな叫び声をお挙げになった。」という一文からはじまります。淡いミルクティーのような色をしたスープに銀色のスプーンを浸すとマッシュルームに香りがある、という事実と同時に、"お母さま"が「スプウンの尖端から、スウプをお唇のあいだに流し込む」情景を思いだします。

 

彩りイタリアンサラダ

人種の坩堝(=melting pot)、と表現されるのはアメリカ合衆国ですが、いつからか人種のサラダボウル、と言い換えられるようになりました。異なる人種が溶けあっているわけでなく、共存しているから。ということだそうです。これはむしろ、サラダの特色・美点をみごとに言い表しているような気がします。つまり"料理のアメリカ合衆国"がサラダだ、と言っても良く、彩りイタリアンサラダこそまさに"アメリカ合衆国"だ、と思うのです。

 

柔らかチキンのチーズ焼き

服を買いに行く為の服がない、というジョークは有名ですが、体力をつける為の体力がない、というのはけっこう深刻な問題だ、とジムのサウナで倒れかけて駆けつけた受付のお姉さまにポカリスウェットを飲ませてもらった(もちろん全裸で)わたしは思うのです。そんなわけで昨今のサウナブームには乗れるわけなく、整うってなあに。という状況ですが、鉄板でじゅうじゅう熱された柔らかチキンのチーズ焼きで火傷した舌を、ドリンクバーで氷をたっぷりいれたグラスに注いでおいた紅茶花伝(!)のアイスティーで急冷すると、これが……。と思い至るわけです。

 

バッファローモッツァレラのピザ(Wチーズ)

ニンテンドーDSのソフト『おいでよどうぶつの森』の舞台となる村には博物館があって、地下には「ハトの巣」という名前の喫茶店が併設されています。足繁く通って珈琲を飲むうちに寡黙なマスター(鳩)はいつしかサービスをしてくれるようになるのです。

ピジョンミルクお入れになります?」

この興奮をいまでも覚えている位ですが、ある日、動物図鑑を読んでいると更なる驚きが訪れました。図鑑によれば、鳩はほんとうに「ピジョンミルク」という分泌物により子育てする、というのです。単なる言葉遊びではなかった。作り手の物凄い量の知識や芸の細かさによってこの何気ないゲームが作られているのは恐ろしいような気さえしました。

さて、わたしが言いたいのは、鳩でさえミルクで育つということです。哺乳類であるわたしたちがミルクを、そしてチーズを。さらにはピザを好む、というのは当然のことかもしれません。

 

おわりに

美味しい、の手前に気持ちいい、がやってくる料理を食すという行為は幼い頃に、或いは遥か進化の前段階に退行する罪悪感、を伴った幸福をもたらすのでしょう。サイゼリヤは恍惚という言葉が不思議似合う。そんなことを思うのでした。